■元日本代表監督・岡田武史氏が監督業を引退!
アフロ
岡田武史 副会長/Takeshi Okada (JPN),
APRIL 1, 2016 – Football / Soccer :
Japan Football Association’s new vice president Takeshi Okada talks to the media at JFA House in Tokyo, Japan.
(Photo by AFLO SPORT) by 写真:アフロスポーツ
岡田武史氏(61)が「監督業」からの引退を決めていたことが8日、分かった。
すでに、日本代表、Jリーグの監督就任に不可欠な資格、日本協会(JFA)公認S級コーチライセンスを返上したという。
「もうやらないと決めた。監督としてやることはやってきた。俺がまた中途半端に戻るより、若い人がやるべき」と説明。
監督業から一時離れても、資格は維持しておく指導者も多い中、異例のS級“返上”は岡田氏の覚悟の表れだった。
同時に、日本サッカー協会副会長も3月末で辞任している。
■日本サッカー界を代表する名将だった岡田氏
日本代表監督として
日本代表コーチ時代の97年、フランスW杯アジア最終予選の不振によって辞任した加茂周監督の後任として就任。
その後、チームを立て直して初のW杯に導き、本大会では三浦知良や北澤豪をメンバーから外すなど、大きな変革が話題となった。
2007年11月にオシム監督が急性脳梗塞で倒れて辞任したため、日本協会の要請を受けて、12月に2度目の日本代表監督に就任。
大会前から不振に陥っていたが、初戦まで約3週間と迫ったあたりで理想を捨てて堅守速攻に舵を切り、16強進出を果たした。
クラブ監督として
2003年に横浜F・マリノス監督に就任すると、就任1年目にして完全優勝を達成。
2004年も1stステージを制し、浦和レッズと争ったチャンピオンシップをPK戦の末に制し、2年連続で年間王者に輝いた。
JFA(日本サッカー協会)の理事を務めた後、12年には中国スーパーリーグ・杭州緑城の監督に就任。
2013年11月に家庭の事情を理由に退任したものの、その後も中国サッカー界の発展と成功の為に交流をおこなっている。
杭州緑城から退任後、監督業から離れていた。
■そんな岡田氏が監督業引退を決断した背景
「経営者」としても手腕を発揮
アフロ
(L to R)
岡田武史 オーナー/Takeshi Okada,
吉武博文 監督/Hirofumi Yoshitake (FC Imabari),
APRIL 16, 2017 – Football / Soccer :
Japan Football League (JFL) 2017 1st Stage
between Briobecca Urayasu 0-2 FC Imabar… by 写真:YUTAKA/アフロスポーツ
2014年11月、四国サッカーリーグ・FC今治の運営会社に出資し、同チームのオーナーに就任。
「日本サッカーはこのままでいいのか」という疑問に対する答えとして、『型』(一貫したスタイル)を作り上げることが必要と判断。
クラブはJFLに昇格し、将来的なJリーグ優勝を掲げる一方で、地域貢献活動や環境保護活動などにも積極的に取り組んでいる。
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