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日本が世界第二の経済大国・先進国に登りつめ、現代の文化や生活スタイルの基本形が確立された1980年代。しかし、地方部に限れば、同じ時代とは思えない別の風景があったようだ
1980年代の地方では「ぼっとん便所」が当たり前だった
1980年代の下水道普及率は意外にも低い。東京であれば家庭でも街中でもほとんど水洗トイレが当たり前であったが、地方部では普及率ゼロの地域もあった。和歌山県に至っては、県都の和歌山市さえ1982年まで下水道自体がなかった
1986年 3月31日現在における我が国の公共下水道処理区域内総人口は、4333万人で、下水道の普及率は36%である。
下水道の普及率を市町村別にみると、 884市町村 (27.2%)に普及しているが、町村だけに限ると13.9%に減る。普及率 100%が 6市町で、 0%が2370市町村である。また、都道府県別では、普及率が最も高いのは東京都の78%で、10%未満は 7県になり、最も低いのは和歌山県の 2%である。
和歌山市が本格的に下水道の供用を開始したのは、1982年。中核市の中では遅い部類に入る。07年度末時点、市内で公共下水道を使う人は約8・9万人。普及率も29・2%と全国平均の71・7%(08年3月時点)からは大きく後れを取っている。
1980年代の地方では男子学生は「丸刈り頭」が当たり前だった
100年以上前の明治時代の戦争の影響で始まった丸刈り校則は、戦後半世紀ほど経過していた1980年代にも地方には根深いものがあった。東京ではほとんど存在していなかったが、地方では丸刈りじゃないほうがおかしいくらいだったそうだ
1990年10月18日現在の神戸弁護士会の調査に基づく。都道府県庁所在都市について、主にふれている。
福島市および鹿児島市では、全中学校で丸刈り校則を実施
神戸市では、81校中78校で、95%以上の学校で、丸刈り校則を実施
宮崎市では18校中14校、静岡市では27校中18校、佐賀市では9校中6校、那覇市では17校中10校、徳島市は15校中8校、いずれも過半数の中学校で丸刈り校則を実施
三重県に1980年開校したこの高校は、森友学園もビックリな校風が存在していた。ここまでの教育法は極端かもしれないが、多かれ少なかれ地方の学校文化はこうした風潮が存在していたようだ
1980年代の地方では鉄道は「旧型客車」が当たり前だった
東京の通勤電車は今と変わらない様子だったが、地方部では戦前の出征列車や戦後の集団就職列車にみられたような旧型客車が当たり前に存在し続けていた。それも過疎地のローカル線ではなく、東北本線の仙台駅や、福知山線の京都駅などでラッシュ時にも発着していたという
数年後に市営地下鉄開業を控えた仙台さえもこの光景は当たり前。旧型客車引退後も「国鉄の残り香」は平成以降も続いた
1980年代の地方では「地元テレビ局が3つ以下」が当たり前だった
1983年までに民放多数化(4局以上)が実現した地域は北海道・宮城・福島・関東広域圏・新潟・静岡・中京広域圏・近畿広域圏・岡山&香川・広島・福岡の11地域(25都道府県)に過ぎなかった。
1986年、郵政省(当時)から情報格差是正施策として「民放テレビ全国四波化」計画が出される。当初の目標であった、全47都道府県の4局化は達成できなかったものの、バブルの波に乗って、4大キー局は、ほぼ全国をカバーするに至った。
1980年代まで東北地方には新幹線・高速道路で行けなかった
1988年まで四国地方や北海道地方は船でなければ行けなかった
岡山県児島と香川県坂出とを結ぶ、鉄道と自動車道路併用の六つの橋梁群の総称。9.4キロメートルの海峡部を、五つの島づたいに、吊り橋、斜張橋、トラスト橋が結ぶ。昭和63年(1988)完成。
本州と北海道を結ぶ鉄道トンネル。JR津軽海峡線の主要部で、青森県東津軽郡今別町から竜飛(たっぴ)崎、津軽海峡の海底部分23.3キロを通り、松前半島の上磯郡知内町湯の里に至る。全長53.85キロ。昭和60年(1985)貫通、昭和63年(1988)開業。
1980年代の地方にはマクドナルドもセブンイレブンもなかった!?
マクドナルドって、1970年に日本で第一店が出たが、一番都道府県で遅かったのは、山形県で有る。
1990年12月20日でようやく出た。
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