◆ツイートに感じ悪いレスをしてくる人
人のツイートに感じ悪いレスをしてくる人が2年ぶりくらいに、やっぱり感じ悪いレスをしてくる。2年前に「11」だったその人間のフォロワー数はやっぱり今みても「14」だったりする。そこは驚かない。しかし、そいつのツイート数「124,369」を見てはじめて驚く。この世はお前の刑務所かと。
ツイッターで手当たり次第罵倒文句を飛ばしてるアカウント、一見、ストレス発散しているようだけども、並んだ呪詛の言葉と共に自分の中にどんどん負の感情が蓄積されていくだけなので、ストレス解消という意味ではむしろ逆効果だと思ってる。
長きに渡って延々私の悪口を言ってるアカウントがあるんですが、もうここまでくると愛を感じ始めててちょいちょい覗いてるんですけど、この前見に行ったら、別の人の悪口言ってて「もう!あたし以外の人の悪口言わないで!プンスカ」って気持ちになった。
◆毎回初デート後に相手が音信不通になる女性
30代後半の独身女性が毎回初デート後に相手が音信不通になってしまうんですと言うのでデートを観察したら相手のことを全然知ろうとせずに私はこれが嫌い、こんな性格みたいな話を延々とつづけて、その後職場の愚痴トークに移行するというお前は何のためにそこにいるんだというトークをしていました。
◆悪意のある人
悪意のある人が発信をして、悪意ある人が受け止めて、悪意ある人が広めていることがある。善意のある人は冷静に考えれば簡単に解ることで、正義を盾に悪意ある人がいる事を忘れてはいけない。
◆話題の大半が陰口悪口
その人間関係での話題の大半がその人間関係周囲の人間関係についての陰口悪口。という話をよく聞く
つまり、それはもう共通の話題が尽きてしまった人間関係で、話題を作るために人間関係内部の人間を次々「周囲」に押し出して話題を作るしかない先の見えた人間関係ということなんだな。
◆「私は〇〇が嫌い」
「わたしは〇〇が嫌いだから、〇〇は気持ちが悪い。したがって〇〇が好きなやつは駄目なやつ」ではなく「わたしは〇〇が嫌い。しかし〇〇は素晴らしい。〇〇が好きな人もいる。わたしの嫌いは誰にも押し付けない」が正しいのであって、意味のない思い込みの鎖で、嫌いをつないではならない。価値観。
◆好きな人がいれば嫌いな人がいるのは当たり前
好きな人がいれば嫌いな人がいるのは当たり前だと思ってます、皆人間だしね
ただ嫌いな人を目の敵にしてひたすら嫌いを増やしてく人生って勿体無い
そんなんだったら好きな人や物事を増やす方が有意義だし自分の為になる
そんなイメージで勝手に解釈して歌いました( ˘ω˘ )
◆「クサすために…」
突然、去年のこのtweetを思い出した。「好きなものの話しかしない」これはオタクには当たり前のことなんだけど、世の中そうでない人が本当に多いのだ。じつは私、大人になるまでピンと来ていなかった。「クサすために本を買う」とか「後で悪口… twitter.com/i/web/status/9…
「後で悪口を言うために人間関係を続けている」とかそんな人のこと。
オタク同士で集まってるの楽しいなって思うのは本当に好きな話ばっかりしてるからよね。相手の好きなもの知らなくても好きなものの話だから嫌な部分出てこなくて楽しい。
思い出したのはこのtweetとの事
◆愚痴や悪口ばかりだった母
「何の趣味もない母は常日頃から職場の愚痴や誰かの悪口ばかり。注意しても直らない。だけど、ある日ズムスタに連れて行ったら見事にカープにハマり、それから選手を応援するのに忙しく、愚痴や悪口を言うことはなくなった」という友人の話を聞いて趣味って大事だなと思った。