池田小事件から17年…追悼式典『祈りと誓いの集い』が開かれた

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▼池田小児童殺傷事件から17年、『祈りと誓いの集い』が開かれた

児童8人が亡くなり、教師を含む15人が重軽傷を負った大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の乱入殺傷事件から17年。同小で追悼式典「祈りと誓いの集い」が開かれました。写真特集で
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。池田小では、犠牲となった8人の児童を悼み、学校の安全について改めて考える「祈りと誓いの集い」が開かれた。

▼事件の概要

宅間守元死刑囚=事件当時(37)=が侵入し、包丁で児童らを次々と襲った。

▼犯人は、自ら包丁を手放し『あーしんど!』と一言

最後の一人を刺し終えた瞬間、凶器である出刃包丁を自ら落として、「あーしんど!」と呟いたという

出刃包丁を持った宅間が教室や廊下に次々と現れて手当たり次第に殺傷していく姿は、児童のみならず大人でも阿鼻叫喚の地獄絵図だった

▼裁判で容疑者は、責任は社会にあると主張

「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」

「親が俺をバカに生んだのが悪い」「みんな悪者扱いする」というように、自分は一貫して被害者の立場を崩さず、全ての責任は社会にある、と主張していた

反省の色がないどころか遺族を冒涜する発言を繰り返した宅間に、傍聴席からは「一人で死ね!」などと、憤怒の罵声が飛び交ったという

▼そして、2002年に死刑判決が言い渡された

また、すでに宅間は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、拘置所職員によって連れ出されており、死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。

担当弁護士に届いた2004年の年賀状には「ケジメをつけるためにご協力お願いします」としたためており、宅間守は一刻も早い処刑を望んでいました。死刑確定から約1年後の2004年9月14日8時16分、宅間守は大阪拘置所で死刑が執行されました。

◆今回の『祈りと誓いの集い』は1300人が参加した

事件後に設置された「祈りと誓いの塔」の鐘が鳴らされ、教訓を語り継ぐ決意を誓った。

▼児童代表が力強く、誓いの言葉を述べた

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