悲しみの中にいる…樹木希林さん告別式で芸能人から偲ぶ声相次ぐ

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monet333さん

・2018年9月15日に75歳で亡くなられた女優の樹木希林さん

1961年に18歳で文学座に入団した樹木さんは、「悠木千帆」の芸名で女優活動を開始し、個性的な演技で人気を博していた。2004年に乳がんが発覚、翌2005年には右乳房を全摘出手術したものの皮膚などに転移し、2013年自ら全身がんであることを公表していた

・樹木さんの告別式は、9月30日に行われる

9月15日に亡くなった女優・樹木希林さんの告別式が9月30日に東京・港区の光林寺でしめやかに営まれた

喪主は夫でロック歌手の内田裕也。祭壇は白を基調とした花で飾られ、遺影の樹木さんは和服姿

夫でロックミュージシャンの内田裕也が喪主を務め、長女でエッセイスト・女優の内田也哉子、也哉子の夫で俳優・本木雅弘らが参列した

・その樹木さんの告別式にあたり、芸能人から多数、偲ぶ声が寄せられている

▼内田裕也さん

喪主の内田は午前9時ごろ、関係者に囲まれ車いすで会場入り。関係者は「悲しんでいました」と様子を語った

内田は、樹木さんが亡くなった翌日に自宅に訪れ対面。「キレイだ。昔から美人だと思っていたんだ」と声をかけていたと本木が明かす

内田は、樹木さんが亡くなった翌日に自宅に訪れ対面。「キレイだ。昔から美人だと思っていたんだ」と声をかけていたと本木は明かすと、樹木さんが荼毘(だび)に付された後、内田は遺骨から顎の骨を取り出し、ハンカチに包んで持ち帰ったという

内田裕也さんが樹木希林さんの遺骨をポケットにしまったって話、なんかいいなあと思ってしまった。大切な人の遺骨、そのままお墓に入れてしまうより、一部だけでも自分のそばにいてもらうほうが心のお守りになるような気がする。

▼内田也哉子さん

告別式の喪主は夫・裕也が務めたが、体調面のことなどもあり、最後のあいさつは也哉子が務めた。也哉子は、その中で、夫・内田裕也から樹木さんに送られた手紙があったことを明かした

2人の関係を「永遠にわかりようのないミステリー」と称したが、樹木さんの死去後、書斎で結婚1年だった1974年10月19日に英・ロンドンから内田が樹木さんに宛てた手紙を見つけたという

「結婚一周年は帰ってから2人きりで。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。裕也に経済力があれば、もっとトラブルも少なくなるでしょう。俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることは、よく自覚しています。本当に心から愛しています」という愛情がたっぷり詰まったものだった

也哉子は、「今まで想像すらしなかった、勝手だけれど、父から母への感謝と親密な思いが詰まった手紙に、私はしばし絶句してしまいました。そして、長年、心の何処かで許しがたかった父と母のあり方へのわだかまりがすーっと溶けていくのを感じたのです」とした

也哉子さんの挨拶の言葉が、こちら側が勝手に想像していた内田家の家庭像そのままで、悼む心とともに、より一層、伝わってくるなと。

内田也哉子、母・樹木希林さん偲び「奇妙な家族でした」 手紙で知った内田裕也の“愛情” | ORICON NEWS oricon.co.jp/news/2120540/f…

樹木さん娘・内田也哉子、両親の関係に葛藤も裕也のラブレターでわだかまり消滅 cinematoday.jp/news/N0103831 @cinematodayより
なんと素晴らしい。
文学的で魂に訴える喪主挨拶ではないか。
言葉がない。これが添い遂げるということか。

葬儀の前には、本木が報道陣の取材に応じ「家族としては落ち着いて振り返る余裕がない状態ですが…」と心情を吐露

逝去後、各メディアで樹木さんの人生が報じられていることについて「僕らが知らない樹木さんのエピソードがたくさん出てきて、まだ生きているような感じです」と不思議な感覚であることを明かす

最期の日々については「春のうちに余命宣告を受け、私たち家族もそれに向き合っていきました」といい、「樹木さんは『自然に朽ちていきたい』と。とにかく“終幕”に向かって『普通でいてくれ』と言われました」と告白

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