海外のチームで「栄光の10番」を背負った日本人サッカー選手

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ppp_comさん

中田英寿(パルマ/フィオレンティーナ)

ローマでスクデットを獲得し、33億円(当時レート)という当時のアジア人最高移籍金額でパルマへ移籍し、10番を背負いました

ボローニャ、フィオレンティーナとイタリアの名門クラブを渡り歩き、日本代表でも2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会と計3度のW杯に出場

本田圭佑(ACミラン/VVVフェンロ)

在籍した3年半の間には81試合に出場(うち先発出場は63)、得点数は9だった

栄誉ある10番の選手として、ファンやクラブの期待を十分に満たすことができなかった

中村俊輔(レッジーナ)

2002年の日韓ワールドカップに落選した中村俊輔選手はイタリアセリアAのレッジーナに移籍し、3年間在籍

セリエAにおける3年間では背番号10をまとい、残留争いを続けるチームの中で時折存在感を残した

清武弘嗣(ハノーファー)

2015/16シーズンに28から10に変えチームが2部降格という”苦しい状況にあった中、奮闘をみせていた清武弘嗣

日本人が欧州5大リーグで10番を付けるのは中田英寿(パルマ、フィオレンティーナ)、中村俊輔(レッジーナ)、本田圭佑(ミラン)以来

原口元気(ハノーファー)

原口は「この番号を背負うプレッシャーは知っていますが、それが好きなんです」と覚悟を示している

柴崎岳(ヘタフェ)

2017年1月にテネリフェに渡り、2017-18シーズンにヘタフェへ移籍した柴崎

背番号「10」を託されたゲームメーカーは、名門バルセロナ相手に華麗なボレーシュートでゴールを奪うなど、存在感を示した

ロシア・ワールドカップ(W杯)でも全4試合に出場し、決勝トーナメント1回戦ではMF原口元気の先制点をアシストするなど日本躍進の原動力となった

中島翔哉(ポルティモネンセ)

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