●ジャニーズ事務所所属で幅広く活躍する滝沢秀明さん
タッキーの愛称で親しまれ、ジャニーズJr.時代から脚光を浴び続けてきたプリンス・滝沢秀明
2002年9月にアルバム『Hatati』でデビュー。翌年2月に1stシングル「To be, To be, Ten made To be」を発表。
・2007年には、タッキー&翼で初のベストアルバムをリリース
2003年11月にリリースした2ndシングル「夢物語」がオリコンウィークリーチャート1位を獲得
2007年10月には初のベストアルバム「TACKEY & TSUBASA BEST」をリリース。
・俳優としては、舞台『Dream Boy』で最年少座長を務める
2004年、舞台『Dream Boy』で最年少座長を務め、その後も『滝沢演舞城』、『滝沢歌舞伎』などに出演。
2007年8月18日、8月19日に放送の日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』でメインパーソナリティーを務めた。
2009年、初のソロシングル「愛・革命」をリリース。2015年、初の海外公演『滝沢歌舞伎 10th Anniversary』をシンガポールで開催
●その滝沢さんが「中居正広のキンスマスペシャル」に出演
約2時間半にわたって放送される今回の特番では、今年いっぱいでの引退を発表した滝沢をフィーチャー。
・番組では、幼少時代の極貧生活を告白
1982年、東京・八王子で3人兄弟の末っ子として生まれた滝沢。「父親からはわかりやすい愛情を受けた記憶はない」上に、
幼稚園児の時、両親が離婚し父が家を出て行ってからは、生活が一変、極貧生活になったという。
・「鉛筆や消しゴムも買えなかった」などと明かした
両親の離婚後、母親が子供たちを引きとり、朝から夜遅くまで働いたが生活は苦しく、
「お金もないので鉛筆や消しゴムも買えなかったので、学校(教室)で拾って、自分のものとして使っていた」と回顧。
滝沢は「リアルに食べるものもなかった。物も買えなかったですし」と振り返った。
・中学生になると、極貧生活から抜け出すためにジャニーズ事務所に応募したという
中学生になると「どうやったら子供も働けるんだろう」とばかり考え、「どこでもよかったんです」とアイドルになりたいわけでもなかったが、