■場の空気を読む
「空気を読む」とは端的に言うと、その場の雰囲気から状況を推察すること。
特に、その場で自分が何をすべきか、すべきでないかや、相手のして欲しいこと、して欲しくないことを憶測して判断する
大阪府豊中市の国有地払い下げをめぐる森友学園問題で「忖度(そんたく)」(人の心を推し測る)という言葉が注目を浴びています
「KY(ケー・ワイ)」。それは「(K)空気」「(Y)読めない」の頭文字をとった略語です。
空気が読めない人、身の回りにいませんか?全く、一体どういう神経をしてるんだ!…と思うこともあるでしょう。
■しかし、空気を「読みすぎてもKY」になってしまうことがある
日本で「忖度」や「空気を読む」ことは歓迎されるにもかかわらず、「空気を読みすぎて失敗してしまう人」がいます。それは「忖度しすぎる人」
例えば、「上司から『なにがなんでも前年の売り上げを上回るようにしろ』と言われて売り上げの数字を改ざんしてしまう」とか、「上司と仲のよい取引先から不当な要求を受けたときに、上司の顔をつぶさないようにと勝手にその要求を受け入れてしまう」
これらは逆に空気を読みすぎてKYになってしまう行為です。
「空気」をみんなで必死に読み合い、だれも望んでないことやだれも必要としていないことが起こる。
「空気を読まなくては!」と頑張りすぎてしまう心が、ストレスを生んでいることもある
あまりにも繊細なため、余計なことまで気になりすぎて、かえって引っ込み思案になったり、それもまたきっと、生きにくいことでしょう
空気を読むことに必死になりすぎた結果、過呼吸に…。
空気読みすぎたり身だしなみ気になりすぎて精神病んだから自由奔放寄りに生きようとしたら相手を傷つけてしまうことがあるのが現状。
でもそれみんなもしてるよねって客観的に凄く感じるけど自分のことになると自分を責めてしまう私は生き辛い世の中。
空気読みすぎてしまう癖をどうにかしたい。
■空気を読みすぎて空回りしてしまう原因は「コミュニケーションに不慣れ」ということ
1
2